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根本真吾

「なぜこのスポーツ留学の仕事をするようなったのですか?」

メディア取材や、はじめてお会いする方から良く聞かれる質問です。

私は、そう聞かれると困ってしまいます。
というのも、
そのような質問される方の多くは、
映画やドラマのように
大きな一つの事件があったり、
「スポーツ留学をやろう!!」
と、ピンとひらめいた瞬間や
ひとことで説明できるような明確なきっかけを期待されているからです。

実際には、
アメリカで留学し、仕事をし、
アメリカや日本で見てきたこと、聞いてきたこと
経験してきたこと、
これらの経験を通して感じたこと
などなど
いくつものことが、
年月とともに、互いに重なりあって、

こうして、スポーツ留学事業に携わっている今に至っています。

それでも、
端的な、これだというズバリなものではないのですが、
そのいくつかの重なりあったことの中で、
「スポーツ留学の会社を設立しよう」という思いに至った、
今こうして世界のスポーツ界を目指そうという若者を支援する業務する上で影響を受けた、三つのことについてお伝えします。

まず一つは、アメリカ時代。

拙著「アメリカでプロになる」にも、「きっかけ」として簡潔にご紹介したエピソードがあります。

当時、勤めていたミズノ株式会社の米国本社ミズノUSAでの業務、アメリカ横断プロモーションツアーの仕事が終わり、ワシントンDCから、アトランタまで、14時間ぐらいかけて運転していたときに、一緒にいたスタッフの吉田さんとの会話が、ひとつのきっかけだったと、紹介しております。
(詳細は「アメリカでプロになる」)をご参照下さい。

当時は、アメリカ市場向け商品、MLB選手用用具の企画担当として、キャッチャー防具、野球シューズ、バッグなどに携わる一方、プロモーション業務も手伝っていました。

そのプロモーション業務の一つは、トップ対応。

イチロー選手や松井秀喜選手の担当の方や、
イチロー選手、松井選手の用具を始め、日米のトップ選手の用具を作り、
国から勲章を授与された、グラブの坪田名人、バットの久保田名人の両名人など、
それらの方々のアテンド役として、
アメリカでのトップ選手訪問時に一緒に周らせていただく中、
トップアスリートへの応対マナーを学びました。

また、トップ以外に、草の根のプロモーションがありました。それは、トレーラーでリトルリーグ、高校、大学、マイナーリーグ、メジャーリーグ、野球用品店と、アメリカの野球の現場に関わる場所を周って、ミズノそして、野球というスポーツをプロモーション=盛り上げていこうというもので、1997年はメインスタッフとして、その後は4年ほど、お手伝いという形で、アメリカの野球の現場を周りまくっていました。プロでなく、アメリカのアマチュアの現場を周った数は、当時のミズノ社員の中でも一、二を争うものだったと、自負しています。

そうした経験から、ミズノの中でもアメリカ草の根野球の案内役ということで、日本からの訪問者を頻繁にアテンドしていました。

日本からの方は、日本の地元の高校、リトルリーグをよく見てきて関わられている、自らも元高校球児などという、スポーツ店や本社の企画担当、営業担当、技術者の方々。

彼らはある意味、日本のアマチュア野球界の専門家ともいえます。
彼らをアメリカの現場に連れて行くたびに、
「日本人のほうがアメリカ人よりいいスイング、いいフォームしているよ。基礎が出来ているよ」
などという言葉が頻繁に聞かれました。

「アメリカはトップクラスはすごいけど、アマチュアなら、日本人でも十分やっていけるところがいっぱいあるのでは」という話も出て、
日本人選手のアマチュアクラスでの活躍の可能性というものを感じるようになってきました。

そして、
「アメリカの芝のこんな良い環境でやれたら最高だろうな」
というコメントも良く聞かれ、
「この広大なアメリカのきれいな芝のグラウンドで、アメリカ人と野球をやる機会が体験できたら、それだけでも、日本の選手とってもワクワクする体験だろうなあ」
と芝の上で目を輝かしながら、アメリカ人と対戦する日本人の姿をイメージするようになりました。

次に、私自身が、学生時代にアメリカに留学をした時のことです。

語学学校は英語を勉強するところですからアメリカ人はいません。
アメリカ人と知り合い友達になる機会、と言うのは留学前に考える以上に大変なものでした。

まずあたりまえだけど言葉ができない。
そしてきっかけもない

自然と
周りは日本人や語学学校の友達が集まる

そうなると
カフェテリア、寮、キャンパス、どこに行っても
1.アメリカ人
2.アメリカ人以外
のグループができてしまいます

それぞれのグループにいると他のグループからは、声がかけられにくくなります。

グループ間には壁があります。
そこを突き抜けて、アメリカ人の中に入り込むのは大変の労力が必要です。

英語も出来ない、友達もいないという中で一から、そういう機会を探し、人間関係を作り上げたのは、ほんとに大変でした。

この壁を突き破ったのはスポーツでした。
私は熱狂的なアメリカスポーツファンだったので、その話と、あと、クラブチームやサークル活動の機会を徹底的に見つけて、スポーツを通じて仲間を作りました。

うまくもない、バスケのピックアップゲームをしょっちゅうやりにコートに出向いてました。
おかげで、
決して上手くないのに、バスケ仲間が出来ました。

もっと上手かったら、もっといろいろなゲームや大会に誘われていたことでしょう。それを体で感じました(実際に自分より英語の出来ない、でもバスケの上手い韓国人の友達が、もてはやされていたのを目の当たりにしていました。)

さらに、部活に入ることが出来きたら、
そのような場を一から作ることから始めるのにくらべ、もっと楽になる、もっと楽しくなっただろうと 想像するのが、それほど難しくない留学時代の経験でした。

最後に、三つ目は
ふたたび、アメリカで仕事をしていたときの何気ない会話でのこと。

アメリカ人のマークという男の補佐役として、野球のシューズの仕事に携わっていた時期がありました。補佐役と言っても、上司部下の関係というより友達感覚。
二人ともうちの会社では、まだまだ新参者ということもあり、ブランドそして自分たちのアピールのために、チャレンジ精神と若さ丸出しで、シェア拡大にアグレッシブに攻めていました。ずっと一緒にやっていた分、いろいろと意見が対立し、言い合いになることもしばしば。そうした、苦楽をともにした、戦友のような同僚であり、友達でした。

そのマークは、野球シューズ担当でしたが、
大学時代はNCAA 1部のカンザス州立大で奨学金をもらって、陸上競技の中距離(1500m、5000m)、クロスカントリーをしていました。

NCAAの1部で奨学金をもらうということは、アメリカ人高校生の憧れで、けっこうすごいことです。

私も高校まで陸上競技で中距離をしていました。
種目は違えど、当時の陸上のスターといえば、カール・ルイス。
そして、
アメリカは、世界ナンバーワンの陸上王国というイメージ。
メダルを取るようなアメリカ代表選手の中には、大学生選手が名を連ねるということもよくありました。

だから、その陸上王国アメリカの1部クラスの大学で、
奨学金もらって競技する世界は、
日本人にとっては、はるかかなたの世界、
「オリンピックに出て、それも上位を競うような人たちの世界」
と私は勝手に決め付けていました。

しかし、
マークの1500mタイムは、実は、私の高校生のときのタイムとほとんど変わりませんでした。
でも、マークの大学が、むちゃくちゃ弱いチームというわけでも決してありませんでした。

さらに、彼は、私に
「シンゴも奨学金をもらって、アメリカの大学で陸上をする資格は十分にあった」というのです。

リップサービスだと思っていたのですが、
実際チェックしてみると、私の種目1500mだけでなく、他の種目でも、日本のインターハイクラスであれば、十分に部に入れ、奨学金を狙える種目が少なくなかったのです。

「陸上王国アメリカでアメリカ人相手に陸上をする」

陸上を部活でやってきた人であれば、夢のようなことです

それが
意外に遠くないどころか、自分にも十分やれる可能性があったのです。
それを知ったときはとても、驚きでした。

そして
次の瞬間、
「もし、アメリカで陸上を続けていたらどうなっていただろう。」

「世界、全米はさすがに無理だとしても、
どこかの小さい大会で、活躍して、ヒーローになれたかもしれない。」
という思いや、

留学時代に、大学の陸上部の試合を見たとき、
観客はさほど多くないのに応援がむちゃくちゃ盛り上がっていて、
「あの中で走れたら楽しそうだな」

と感じたときの思い出などもよみがえってきました。

また、
「陸上が仮にダメでも、英語は今よりももっと上手くなっていただろうなあ・・」
「もしも、陸上をカンザス州立大でやっていたら・・・


いろんなことを考えてしまいました。

振り返れば、高校時代は、部活に全てを捧げたと言っても、おかしくないぐらい、打ち込んでいました。
それでも大学では陸上は続けず、やめてしまいました。

やめても、
それまで思い入れを持って、労力、時間を捧げてきたことは、簡単には忘れるものではありません。

「続けていれば・・・」
このマークの話の前から、そう思うことは何度もありました

だから、
彼の話を聞いて、
もうやめてとっくに何年も経ち、大学時代に戻れるわけもないにもかかわらず、
「もしアメリカで陸上を続けていたら」と、いろいろと考えてしまったのは、
ある意味、自然なことだったのかもしれません

でも、自分の過去は変えることは出来ません。

だったら、

「日本で毎日部活に真剣に取り組んできた選手であれば、
アメリカで評価され、通用するチャンスが十分にあるんだ」
「それを選択肢として、教えてあげたい」

このマークの話は、
そういう気持ちを抱くようになったきっかけといえます。

ボディブローのように
あとから効くような、
深く自分の中に刺さっていく、
影響を与えてきたような気がします。

そして、
松井選手がお世話になったジャイアンツを離れ、苦渋の決断でヤンキースデビューを果たした2003年、
お世話になったミズノ株式会社を離れる苦渋な決断をし、
スポーツ留学の会社を設立。

「世界一練習する日本人は世界で通用するんだ」
「『スポーツが好き、得意』は立派な才能」
「スポーツ・部活に打ち込んだ時間と努力は世界でも大きな武器になる」

という信念の元、

プロ選手輩出や奨学金獲得者
あるいは、短期の夏休みキャンプ参加者の喜びの体験など、
これまで、少しずつ、コツコツと実績を重ねながら、
現在に至っております。

大変長くなってしまいました。

お伝えしていますように、
簡潔に、ましてや、ひとことで表すということは、やはり難しいものでした。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

今後も、
世界のスポーツ界を目指す若者が、
「スポーツが得意、スポーツが好き」という才能を世界で開花させるためのお手伝いをしていきたいと思います。

まだまだ力不足で、我々がやりたいことがまだまだ出来ていません。
このスポーツ留学というコンセプト自体もまだまだ広まっていません。

それでも、
ミズノ時代に教わった
誠実に、コツコツと、
少しずつでも前を目指していく精神で、頑張っていきたいと思います。

選手のみなさん、保護者様、指導者様、スポーツを愛するみなさまのお役に立てる
スポーツサービス会社として、
これからも努力を続けていきたいと思います。

どうぞこれからも変わらぬご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

根本真吾 アスリートブランド株式会社 代表

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